―名前は、何と?
…。
―ああ、申し訳ない。私はサーク、今日から君と同じ、神聖騎士団の末席に身を置く騎士です。こっちは
―ウレイリスじゃ。よろしくのう
「お前の事はどうでもいい。ここに何の用だ?」
―…え?いや、団長からこの部屋に寮生するようにと…相部屋、なんですよね?
「噂は…聞いてないようだな。ここは"独房"。半人半機の嫌われ者、猟犬の住処だ。」
―独房?猟犬?
―小僧、疲れたぞ。茶でも淹れぬか
―お前はまたそんな事を…少し待て、今は大事な話の最中なんだ
なんだこの男は?そう思うと、我知らず舌打ちが漏れた。
磨き上げられた鎧、支給品の真新しい剣、如何にも融通の効かなさそうな真っ直ぐな眼。
首から提げたマーテルシンボルと生真面目な表情が、何より気に入らなかった。
舌打ちが聞こえたのか、気まずそうな表情を浮かべたサークに言い捨てて、さっさとベッドに転がる。
「…グレイ。グレイハウンド、と呼ばれている。」
その日から、全ては始まった。
―グレイハウンド、少し良いですか?
「…。アイツの事か。何のつもりだ?」
振り向きもしないで答え、手元の本の項を捲る。
―このままでは貴方は孤立してしまいます。団長として、それは見過ごせません…。
―彼は良い人でしょう?…今回は、貴方も追い出そうとしていないようですし。
―うまくやれそうですね、貴方達は。
「冗談じゃない、迷惑だ。…俺の事は放っておけ。」
―しかし、
「煩い団長殿だな…余程暇らしい。」
「出て行け、ノエル。」
―グレイ!団長への暴言は禁則事項だろう!せめてノエル様と呼べ!
―何を熱くなっておる、小僧
―お前もだ!どうしてお前達はそう勝手な事ばかり…
―ふん。実戦どころか訓練もまともにこなせぬ小娘に命を預けるか。全くもって理解できん
―落ち着いてください、サーク…グレイも。
―歳も同じですし、実力の期待される貴方達なら、お互いに磨き合える良い友人になれるかと思ったんですが…
―余計な計らいでしたね
―い、いえ!そんな事は決して!不肖サーク、必ずご期待に応えて見せます!
…心底、付き合いきれん。
読んでいた項が全く頭に入っていない事に気付いて、小さく舌打ちした。
―"紅蓮の騎士"?お前が?
―何じゃ小僧。知らなんだのか?
―お前は知ってたのか!?
―知るわけがなかろう、馬鹿者め
―…お前という奴は…
―なんじゃ跪いて、遂に儂を崇める気になったか?よい心がけだ。
―そんなわけがあるか!
「ガタガタ騒ぐな!…で、紅蓮の騎士がなんだって?」
―ああそうだ、今日先輩から聞いてきたんだ。本当なのか?
「連中はそう呼んでるらしいな。…それがどうした?」
―馬鹿野郎!何で今まで言わなかった?
「お前は一度でも聞いたのか?…取って付けた呼び名に興味はねえな」
―…いや、聞かなかったが…教えてくれても良かっただろう!?
「あー、煩えな…結局お前は何が言いたいんだ?」
―任官される前、憧れだったんだ。どんな絶望的な戦場にも現れ、単独で敵を打ち倒す神聖騎士。赤い眼の紅蓮の騎士…
―ほう、大した話じゃのう。
「何を聞いたか知らんが…大半は作り話だ。俺は見ての通り、外出も制限されてるんでな」
―制限?何の為に…
「それこそ手前の好きな団長殿にでも聞けよ。…さしずめ、俺は貴重な実験体だからじゃねえのか?」
―実験体?じゃああの噂は…
「フン。魔神に魂を売ったとかなら覚えはないが、俺が人体強化の実験体なのは公然の秘密だ。」
―道理じゃな。お主の人間離れした膂力はその所為か。
―そんな事が…ここは神聖騎士団だろう!人道を踏み外した扱いが許されるものか!
「あ?何云ってんだお前…」
―待っていろ!必ずノエル様を説得してみせる!
―な、なんじゃ、儂まで巻き込むな!いたた、どこへ連れて行くー!
軟禁が解除されたのは、一月ほど経ってからの事だった。
希望する官舎への転居が認められても、…俺はそこに留まっていた。
癖のある前髪を掻きあげ、眼を細めて項を捲る。
蝋燭の火が音を立てて燃え尽きた事で我に返った。
―目、悪いのか?
「あ?…ああ、癖みたいなモンだ、放っとけ」
―まあ、それだけ髪を伸ばしておれば邪魔にもなろう。確かに目を悪くするじゃろうな?
―そうだろうな…髪は切らないのか?騎士として身嗜みも必要だぞ。
「お前の小言は聞き飽きた…切るつもりもなければお前のような格好をする気もない。」
―しかし最低限というものが…そうだ、良い物を持っている。ちょっと待て、確かこの辺に…
次の瞬間いきなり頭を掴まれたかと思えば、無理矢理鋼の額当てを嵌められた。
「おい手前!邪魔すんなっていつも言ってんだろうが!」
怒気も露に怒鳴っても、サークはまるで聞いていないどころか満足げに頷いていた。
―ほう、お主にしては気が利くのう。…まさかそちらの趣味があるのではあるまいな?
―何言って…そ、そんなわけがあるか!…ともかく、それで髪を留めておくといい。兜も持っていないし丁度いいだろう
―くっくっく、…どうだかのう。儂のような可愛らしい女子が傍にいて手も出さんのだ、疑われても仕方あるまい?
―…寝言は寝て言え。
「…飽きんな。お前達は」
怒鳴る気も失せていた。
この二人を見ていると、一々怒って見せるのが阿呆らしくなる。
半ば呆れて眺めていると、不意にウレイリスが振り返った。
―何を笑っておるか!本を読むならさっさと読まぬか!
―偵察じゃなかったのか!?なんでこんなに盗賊がいるんだ!
「俺が知るか!丁度いい、この場で始末すりゃそれで終わりだ!」
―小僧!集中しろ!来るぞ!
―うお!?…観念しろ!神聖騎士団だ!おとなしくすれば命は…グレイ!待て!
相棒が言い終わる前に、幅広の大剣を手に盗賊の群れに突っ込む。
小枝のように振り回した大剣が粗末なテーブルとその上の盗品の壺、数人の盗賊を纏めて薙ぎ倒し、戦えるだけの空間を確保する。
「馬鹿か手前は!長々と口上垂れてる暇があったら制圧しろ!いきなり投降するような馬鹿はいねえんだよ!」
後ろに叫び返す間にも投擲されたナイフが鎧に当たって弾かれ、数本が身体を掠めて傷を負う。…軽傷。戦闘行動に支障なし。
―ああ、くそ!行くぞウレイリス!
出撃する度、傷が増えていく。要は重傷さえ負わなければ良い。
…確かこの時は二人揃って傷だらけで官舎に帰り、疲労の余り報告も手当も忘れて昼まで寝ていた筈だ。
様子を見に来たノエルと我に返ったサークが血に染まったシーツを見て青くなっていた。
いつから神聖騎士団は小心者の馴れ合いの場になった?
問題は、…俺がそんな空気に慣れ始めている事だった。
肩口を狙って振り下ろされる長剣を狙い、長大な両手剣を叩きつける動作。
サークが狙いを察し、踏み込んだ俺の軸足を楯で殴りつける。
衝撃に踏み込みが甘くなったが、両手持ちの大剣は狙いを外さずに長剣を勢い良く弾き返した。
体勢が崩れたサークの足元を掬い上げるように刃を返し、軌道に割り込んだ楯ごと押し飛ばす。
先程の手応えなら暫く剣は振れないだろうと判断して一気に間合いを詰め、…剣と楯を捨てたサークが短剣一振りで懐に飛び込んでくる。
―この距離ならその剣は振るえまい!
「格闘戦ってか?…舐めてんじゃねえぞ!」
剣を捨て、叫び返す間に二度の突きを手甲で防ぎ、腰のナイフベルトを断ち切られる。
勝利を確信した間抜け面に無性に腹が立った。
訓練用に刃を潰したナイフとは言え、刺されれば充分に重傷ぐらいは負う。
サークがそれを承知で、怪我をさせないよう軽鎧の板金を狙っているのも気に食わない。
―今度こそッ!
「煩え奴だな…!」
左手で短剣を払い、右拳を胸甲に叩き込み、踏み込みの勢いをそのままに首を狙った蹴りを…
そこで我に返って、強引に体勢を崩して蹴りを外す。
回し蹴りを外した旋回の勢いのままに爪先で大剣を拾い上げ、間抜け面の頭上で寸止めした所で制止が掛かる。
右脇腹に弱々しく押し当てられた短剣の感触があった。
―それまで!…二人とも、良い試合でした。引き分けです。
―は、はい!ありがとうげふげふ
―情けないのう、小僧…
「…ああ、これで14連続引き分けか?」
―貴方もあまり訓練を欠かすと、サークに抜かれてしまいますよ?
「そうかもな」
感慨もなく言い捨てて、訓練場を出る。
疑問を感じていた。
実験体として騎士団に所属し、己と引き換えに故郷は潤った。
顔も名前も覚えていない両親は、どうせ自分の事など覚えてはいないだろう…俺がそうであるように。
力を得る毎に、自分に関わる者は減っていく。
比例するように、待機を命じられる機会も増えた。
…要するに、誰も俺とは組みたくないのだ。
ただ一人の例外を除けば。
そして転機は訪れる。
―神聖騎士サーク、北伐への参加を命ずる。神聖騎士グレイハウンドは首都にて待機任務。援軍要請を待て。
―サーク、貴方には…場合によってはケルバーに赴任してもらう事になるかもしれません。
独りになり、考え事をする機会が増えた。
北伐の成功とノエルの不在で気の緩んだ騎士達が、あからさまに俺を揶揄する事も増えた。
…潮時だな。
装備を着け、愛用の大剣を背負って武器庫に辿り着く。
静止した阿呆には眠ってもらった。
目当ての物は直ぐに見つかった…過保護なまでに厳重なナックルガードを持つ両手剣、焔の神性を封じたと言われる魔剣。
少しだけ引き抜いて刀身を確かめると、刃が出番を喜ぶように鈍い光を返した。
「行くぞ、封焔剣。…俺もお前も、居場所は戦場にしかない」